■ケガの巧妙
1990年5月、未来フォルムをもったエスティマ(トヨタ)がデビューした。新鮮なルックスに使いやすい室内は、アッと言う間に人気モデルになった。この頃の人気車種、ラルゴ(日産)、デリカスペースギア(三菱)、MPV(マツダ)などの高床式で室内効率を優先させたRV(レジャービークル:今で言うSUV)が中心になっていた。一方、この頃ホンダのラインナップはセダン一辺倒、シビックシャトルの延命処置でどうにか面目を保っていた。
当時、開発が進んでいたホンダ初のRVは、建築予定の新工場で生産され、スペース効率に優れたエスパス(ルノー)の様な未来感覚の車になるはずだったのだろう。ところがバブル崩壊で新工場の話は流れ、既存の工場で製造しなければならなくなった。しかしセダンの製造ラインでは、車高が高い高床式の車は作れない。苦肉の策として、乗用車ベースにした低床式のデザインで計画が進行した。
こうして1994年10月、セダンでもワンボックスでもない新しいスタイルを持ったオデッセイは、クリエイティブムーバの第一弾として世に出た。アダムスファミリーを採用したCMもインパクトが強く、その後のオデッセイの快進撃は皆さんの知るところだ。アメリカでもよく売れ、ニューヨークのイエローキャブが全てオデッセイに切り替わるあと一歩のところまでいった。かくしてホンダの屋台骨を支える中心的存在に成長した。
あの時、バブルが弾けずにそのまま計画が進行していたら・・・今のホンダは無かったかも知れない。 |
■注がれた走りの遺伝子
オデッセイが2代目に移行したのは1999年12月、キープコンセプトで徹底的に走りを磨いた。想像の域を出ないが、初代はミニバン的な使われ方でファミリー層に受け入れられたがステップワゴンの登場で、より使いやすいステップワゴンに移行してしまった。そこでコンセプトが曖昧になったオデッセイに「走り」を求め、脱ファミリーを目指した。
しかし既にライバル各社はオデッセイを研究し尽くし、より競争力のある車種を発表しており、見かけ上の変化に乏しい新型は、ルックス至上主義のユザーの心をつかむ事はできなかった。
しかし、ここからがホンダらしい。もっとオデッセイを尖らせたアブソルートをマイナーチェンジで投入した。ホンダは「走り」なのだと言わんばかりに。 |
■注がれた走りの遺伝子
オデッセイが2代目に移行したのは1999年12月、キープコンセプトで徹底的に走りを磨いた。想像の域を出ないが、初代はミニバン的な使われ方でファミリー層に受け入れられたがステップワゴンの登場で、より使いやすいステップワゴンに移行してしまった。そこでコンセプトが曖昧になったオデッセイに「走り」を求め、脱ファミリーを目指した。
しかし既にライバル各社はオデッセイを研究し尽くし、より競争力のある車種を発表しており、見かけ上の変化に乏しい新型は、ルックス至上主義のユザーの心をつかむ事はできなかった。
しかし、ここからがホンダらしい。もっとオデッセイを尖らせたアブソルートをマイナーチェンジで投入した。ホンダは「走り」なのだと言わんばかりに。 |